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デジカメ気まぐれ旅日記

Rapa Nui イ−スタ−島 世界遺産を訪ねて  その2

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HANGA ROA (ハン・ガロア村)

イースター島で人が住んでいるのは島の西側ハンガロア村のみでここにイースター島のすべての施設が整えられています。この島では建築基準が厳しく2階までしか建物は建てられません。ホテルも平家建てで LAN Chili 航空会社のパンフレットを見ても登録されているホテルが8軒のみで、それに民宿が3軒だけ記載されています。国際的に有名なホテルはここには一軒もありません。

ハンガロア村の教会

ハンガロア村の教会

このハンガロア村にあるイースター島博物館は、1986年の秋、日本の凸版印刷の援助によって新築されました。

この島の人たちのほとんどが今はクリスチャンで、日曜日のミサではラパ・ヌイ語で歌われる太鼓とギターで歌われるポリネシアンリズムの賛美歌は必見・・・との事で行って来ました。

AHU TAHAI (アフ・タハイ) 遺跡

ここには5体のモアイが祀られたアフ・バイ・ウリがあります。そのすぐ北側にはアフ・タハイ、さらにもう少し北にはイースター島で唯一の目を付けたアフ・コテリクのモアイ像があります。また、このアフ・コテリクのモアイ像は頭にプカオと言われている赤い色の凝灰岩で造られたまるで帽子のような髷をのせています。このアフ・タハイのモアイ像はこの島で一番古いものではないか?と言われています。

アフ・バイ・ウリアフ・タハイアフ・コテリク

アフ・バイ・ウリ

アフ・タハイとアフ・コテリク

アフ・コテリク

アフ・タハイ

アフ・バイ・ウリ

アフ・バイ・ウリ

アフ・タハイ

アフ・タハイとアフ・コテリク

アフ・タハイ

アフ・コテリクのモアイ

アフ・コテリクのモアイ

AHU TAHAI の アフ・タハイアフ・バイ・ウリ

 

アフ・コレリクのモアイ

AHU TAHAI のアフ・バイ・ウリ

TAHAI のアフ・コテリク

アフ・バイ・ウリ のサンセット

TAHAI のサンセット

アフ・コテリク

アフ・コテリク のサンセット

アフ・コテリク のサンセット

アフ・バイ・ウリ のサンセット時間は21時15分

アフタハイアフコテリク のサンセット

TAHAI のサンセット時間は21時15分

アフ・バイ・ウリ

TAHAI のサンセット

南太平洋 のサンセット時間は21時15分

アフ・バイ・ウリ のサンセット

アフ・バイ・ウリ サンセットの時間は21時15分

アフ・バイ・ウリ のサンセット

アフ・バイ・ウリ サンセットの時間は21時15分

アフ・バイ・ウリ のサンセット

アフ・コテリクのモアイ

アフ・タハイのモアイ

アフ・バイ・ウリのモアイ

アフ・コテリク のモアイ

このアフ・タハイには朝からと夜のサンセットを見るために2度訪れました。サンセットの時刻は9時15分でした。この南太平洋に沈む夕日とモアイ像との数々の景観は圧巻でした。

PUNA PAU (プナ・パウ) プカオの石切り場

ここはモアイの頭の上にのせるプカオにする赤色の凝灰岩の切り出しを行っていたところです。プカオはまるで帽子のような赤茶色の髷で、この島ではこのように頭の上で髷を結っていたのではないか・・・といわれています。

PUNA PAUプカオの石切り場

PUNA PAUプカオの石切り場

PUNA PAUプカオの石切り場

PUNA PAUプカオの石切り場

PUNA PAUプカオの石切り場

PUNA PAUプカオの石切り場

 

ここにはまだ未完成のプカオがいくつか転がっています。

ボートが造られていた洞窟 ANA KAI TANGATA (アナ・カイ・タンガタ)

この大きな洞窟の中でボートが造られていた。ここは女性は入る事ができなかったと言われています。

ボートが造られていた洞窟 ANA KAI TANGATA

ボートが造られていた洞窟 ANA KAI TANGATA

ボートが造られていた洞窟 ANA KAI TANGATA

ボートが造られていた洞窟 ANA KAI TANGATA

ボートが造られていた洞窟 ANA KAI TANGATA

7体のモアイがある AHU A KIVI (アフ・アキビ)

ここは考古学者によって科学的に復元された最初の遺跡で、このアフ・アキビのモアイ像だけが海に向かって建てられています。これは春分の日と秋分の日の年に2度太陽が沈む水平線を見つめている・・・と言う、天文学的な方向性を表わしているとされ、これらから季節の時期を割り出していたのではないか・・・と言われています。

アフ・アキビの海に向かって建つモアイたち

アフ・アキビの海に向かって建つモアイたち

アフ・アキビの海に向かって建つモアイたち

アフ・アキビの海に向かって建つモアイたち

アフ・アキビの海に向かって建つモアイたち

アフ・アキビの海に向かって建つモアイたち

アフ・アキビの海に向かって建つモアイたち

アフ・アキビの海に向かって建つモアイたち

 

火山洞窟の ANA TE PAHU (アナ・テ・パウ)

ここは全長3,000mにも及ぶ火山洞窟で、この島にはほかにもたくさんの洞窟があります。これらの洞窟は戦争の時には島に人たちの避難場所になり、そのほか住居として、またお墓としても使われてきました。島では地上は強風が吹き荒れるために作物が育ちにくく、このようなところでバナナ、いちじく、アボガドのほかタロイモなども栽培されていました。そのようなことからバナナの木の生えている所が洞窟である・・・とも言われてきました。

火山洞窟の ANA TE PAHU

火山洞窟の ANA TE PAHU

火山洞窟の ANA TE PAHU

まるでインカの石組みを思わせる AHU VINAPU (アフ・ビナプ)

精巧な石組みが30mにわたって積み上げられているピナプのアフはまるでインカ人積み上げたものではないのか?とのことから、この島の先祖はインカすなわち南米からやって北・・・と言う南米説が一時あったと言われています。ここは857年前後に造られたもの・・・と断定され、前のアフ・タハイと同じ時期造られたものと言われています。

AHU VINAPU アフ・ビナプの破壊されたモアイたち

AHU VINAPU アフ・ビナプの破壊されたモアイたち

AHU VINAPU アフ・ビナプの破壊されたモアイたち

AHU VINAPU アフ・ビナプのプカオ

AHU VINAPU アフ・ビナププカオ

AHU VINAPU アフ・ビナプの破壊されたモアイたち

ハンガロア村とマタベリ国際空港滑走路沿いにユーカリの木が植えられている

AHU VAIHU (アフ・バイフ)

ここは1,750年頃に始まったと言われている、モアイ倒し戦争(フリ・モアイ)があった激戦区で、アフも破壊され、全てのモアイがこのフリ・モアイによって顔を下向きに倒されており、このアフ・バイフから隣のアフ・アカハンガまでの間のモアイ全てがこのようになって倒されています。

AHU VAIHU の倒されたモアイたち

AHU VAIHU の倒されたモアイたち

AHU VAIHU の倒されたモアイたち

AHU VAIHU の倒されたモアイたち

AHU VAIHU の倒されたモアイたち

AHU VAIHU の倒されたモアイたち

AHU VAIHU の倒されたモアイたち

AHU VAIHU の倒されたモアイたち

AHU VAIHU の倒されたモアイたち

AHU VAIHU の倒されたモアイたち

AHU AKA HANGA (アフ・アカ・ハンガ)

ここには破壊されたモアイがごろごろところがっています。ここはこのイースター島の初代王ホツマツアが埋葬されていると言われている所で、この村ではかっての住居であったと言うボートハウス跡の石組みがあちこちに見られます。

AHU AKA HANGAのボートハウス(住居跡)

AHU AKA HANGAのボートハウス(住居跡)

AHU AKA HANGAの破壊されたモアイたち

AHU AKA HANGAの破壊されたモアイたち

AHU AKA HANGAの破壊されたモアイたち

AHU AKA HANGAの破壊されたモアイたち

AHU AKA HANGAの破壊されたモアイたち

AHU AKA HANGAの破壊されたモアイたち

AHU AKA HANGAの破壊されたモアイたち

AHU AKA HANGAの破壊されたモアイたち

AHU AKA HANGAの現地ガイド

AHU AKA HANGAの破壊されたモアイたち

AHU AKA HANGAの洞窟住居跡 中に入ると波の音も聞こえなくなる

AHU AKA HANGAの洞窟住居跡 中に入ると波の音も聞こえなくなる

 

 Rapa Nui 世界遺産 紀行 その2

ご覧頂きまして有難うございました。

つづけて その3 もご覧ください。

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